ツイッターでリムられて悲しいときに読む記事

ブロガー界隈でツイッターを始めて気づいたのは、自分には思った以上にリムられ耐性がないということだ。
リムられたのがいかにも業者みたいなアカウントだったらどうでもいいのだが、交流したことがあるユーザーにリムられると、心の傷は広がる一方だ。
しかし、当然リムられた事を気にしていても何にも得にならないので、この悲しみの乗り越え方について考えてみたい。
思いっきり悲しみ切る
「悲しんじゃだめだ」「前を向かなきゃ」そう思って、余計に心が塞いでいないだろうか。
先日心療内科にお世話になったとき、憂鬱な気分への対処法として、「マイナスな事を考えてもいい時間を作る」ということを教わった。
ある研究でも、あえてマイナスなことを考える時間を作ったグループは、作らなかったグループよりむしろ調子よくすごせたようだ。
さあ、思いっきり悲しもう。
「うおおおおーーーー悲しいーーー!!!!」
「つらいーーー!!!」
この時点で私はだいぶ馬鹿らしくなってきて、楽しくなってきてしまったのだがいかがだろうか。
1人の知人が自分のつぶやきを見なくなった、ということの意味は、そんなに重くない。
自分自身や周囲の暮らしは、何も損なわれないのだから。
むしろ好きなようにやれるチャンスが増えたと思う
リムられたということは、それが誤操作でない限り自分のツイートに関心を持ってもらえないということだろう。
それはつまり、フォロワー全体で考えれば数は減ったとしても、人数で割ったときの自分への関心は濃くなっていくということだ。
合わないと思いながらたくさんの人に無理にフォローされ続けるより、意味があると思ってフォローしてくれている人が少数でも残っている方が交流の場としては価値があるはずだ。
あなたのつぶやきを見返してみて自分で好きだと思えるなら、改める必要はない。そのまま我が道を突き進むだけだ。
私が昔リムったときの話
ミュートが公式で実装されていなかった数年前に、同い年で仲の良い女子をリムったことがある。
その時は、「タイムラインが〜ちゃんで埋まってる気がするから一旦リムるわ!w ゴメンね」
「たまに様子を見に行くから気を落とさんでね」そんなふうに@で声をかけた。
リムーブは別に、「あなたのことが嫌いです」という意思表示ではないのだ。
「俺には俺の理想のTLがあるからすまないが君には犠牲になってもらおう」といったところか。
そういう、個人的な趣味の世界にとやかくいうのは野暮というものだ。
そういうときこそあたしのブログ読んで!
最後に宣伝になってしまうが、私は相互さんは誤操作以外では絶対リムらない。
TL追えてない時もあるが、ちょくちょく見ている。
だから、リムられたくない人も私のことは怖がらずにフォローしてみてほしい。
また、当ブログ(hobbies) from Tokyo.は自力で楽しみを見つけるのが下手だった自分自身の経験を活かして、悩んで何も手につかない状態から何かを楽しめる状態に持っていく手助けとなるような記事を作っていきたいと思っている。
悩みやすい人は、ぜひまたこのブログにも遊びに来てほしい。
さらばじゃ。