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仮免の修了検定で2度落ちた私が身につけた、不安の消し方

仮免許の技能試験で受かったばかりのニシダです。

教習所での修了検定(技能)は一発で通る人が多い中、自分だけ2回も落ちて正直めちゃくちゃ落ち込みました。

この記事では、私なりの不安を解消する考え方をご紹介します。技能試験に不安を抱えている方に、役立てていただけたら幸いです。

修了検定は、公道に出せるかの判断。甘くはできない。

日々の教習では「できていると思うのでOKにしますよ」というゆるい感じで教官からハンコがもらえますが、検定のときはコースを周る一瞬の出来で全てが決まってしまいます。

技能に不安のある人が修了検定に挑戦して、大きなミスをしたり、小さなミスがいっぱいになってしまった場合、わりと容赦なく不合格になります。

この、検定特有の容赦のなさには理由があります。

教官は、安全に走れる教習生にだけ合格をあげる

 

教官の気持ちになって考えてみましょう。自分が修了検定で「おまけ」して合格を出した教習生が、いざ第二段階で公道に出たとき、事故を起こしてしまったとします。

検定の時点で運転に問題があることに気付かなかったの?

そんなふうに、運転技術の未熟さを見抜けなかった、適切に見極められなかった責任を問われてしまいますよね。

また、事故の瞬間に助手席に乗って教えていたのが自分だったとしたら、身に危険が及ぶ上、こんなふうにも言われてしまうかもしれません。

一緒に乗っていたのに、事故を防げなかったの?

そんな展開を想像してしまうと、教官も自分の身が可愛いので、少しでも「この人危なっかしいな〜」と思ったら、合格させたくないわけです。「教えるために同乗するの、怖いな〜」と思われるかもしれません。

したがって修了検定では、いかに「私は運転しても安全な人間ですよ」とアピールできるかが大事です。

運転のプロの教官を、始めたばかりの私たちが安心させるのですから、難しくて当然です。

検定に落ちても落ち込まない、考え方

お金もかけて、安くないお金もかけて(大事なことだから2度言いました)、時間もかけて、検定に落ちたらもう、この辛さ苦しさをなんと表現したらいいか!という感じですよね。

頑張って運転したのに教官ったら、文句ばっかり!

いきなりは難しいかもしれませんが、落ち着いてください。大丈夫ですよ。

私は何しろ試験に2度落ちた不合格経験者ですから、あなたの不安を少し和らげる自信があります。

センスなんてなくていい。できるようになったとき、かっこいいから。

自分には運転センスがないと思っている方へ。

私に言わせてもらうと、センスに恵まれない場合すんなりいかないのは当たり前です。

スケジュールと予算の都合上、ほんの少しの練習で検定になっちゃいますし。一発で通っちゃう多数派が、すごすぎるだけです。

よく考えるとセンスがあるって、別にえらくもなんともないですからね。たまたま才能があっただけですから。(受かるまではこういうの読んでも「でも〜泣」と思ってました。そのときは自信がなさすぎて、他人がすごすぎに見えてただけです。才能あったとしても、ただのフツーの人間たちです。)

センスがないのに、頑張って練習して、できるようになった。その方が、どうでしょう、えらいような感じがありませんか?私たちはもっと自分をほめていいと思います。

余談ですが、受かった瞬間私は本当にそう思いました。

「ああ、これだけ喜びが増えるなら、あのとき落ちてよかったな。頑張った。」

知恵袋のネガティブコメントは、無視!!

落ちた仲間を求めてネットで検索し、知恵袋にたどり着いた方へ。

「センスないなら、運転しないで欲しい・・」みたいな回答に出会いましたか?

私は不合格をもらって落ち込んでいたので、それを見て「自分が運転すると、皆に迷惑なのかなあ・・」と思って泣いてました。

でも、ちょっと待ってください。

習得できた理由が先天的な才能であれ、後天的な努力であれ、修了検定の客観的な判断により認められる力量は同じです。

つまり、修了検定の「容赦のない」フィルターにかけられてしまえば、そこを通過した人ってみんな同じ力を持っているんですよ。元がどうであれ、関係ありません。免許もらってからどんな運転を心がけるかの方が、きっと才能より100倍大事です。

誰もが運転できるようになるため、教習所は存在しています。

だから、ネガティブコメントはどうぞお気になさらず。

中傷に近いような、質問の内容にも関係ないような回答は通報してやりましょう 笑

私は、本当に全く関係ない、ただ悪口を言ってるだけみたいな回答を通報しました。(yahoo!のアカウント使わなくても簡単にできます。)

つらいときは修了検定のことを、あえて軽く考えてみよう

「厳密に採点したら、ほとんどの人は検定なんて受かれない」という話があります。

キチンと気を付けるべきところだけ気を付け、「この人なら事故は起こさないな」と教官に思わせられれば、私たちは合格をもらえるわけです。

これは私の心が軽くなったコツなのですが、「修了検定は、あくまで教習所の中で優秀な運転をするための試験」と考えてみてください。

もちろん、本当は公道に出た時安全な運転ができることが最重要なので、そこは試験でも忘れちゃいけません。

ただ、試験で落ちたりして、自信がなくなっているときは、「自分には運転そのものの才能がないんだ。やめた方がいいのかな。」と思うのではなくて、「あくまで、教習所で教官の気にいる走りができなかっただけなんだ。自分は運転そのものはできるんだ。」と考え、まずは前向きになることを優先してください。

前向きにさえなれば、いくらでも立ち向かい、安全に対しても真摯に取り組めるようになります。まずはあなた自身を、安心させてください。

そもそもみきわめ通ってるなら、客観的にも認められてるんですから。

目的さえ確かなら、教官の指摘は心地よくなる

「落ちた時に限って教官ったら、ねちねち、文句言うんだから〜〜!!」と思っていました。

でも、教官は、あなたに安全に走って欲しくて、嫌な人になってねちねちいうんです。あなたとあなたの大事な人に、運転することで悲しい思いをさせたくないから。

ほんとは受からせてあげたかったからこそ残念な感じで、今後のためを思って細か〜く、指摘を言っているんです。そういうことにしとけば、落とした教官を呪わずに済みます。(想像ですけど大体間違ってないですよね?先生方。)

さあ、そろそろ楽しい気持ちになりましょう。

教習所に通っているということは車に乗りたいと思える何かがあったんですよね。

(事情があってやむをえず、の人でもこの世界には素敵な場所がたくさんありますから、車ならではの行きたい場所、車があれば便利になる場所を想像してみてください。)

その大事な何か、車で行きたい場所、過ごしたい時間を忘れず前向きになれば、自然に教官のいうことも素直に聞けるようになります。

自分の望む場所へ安全に車で行くためと思えば、耳が痛い指摘でも歓迎できるようになりますからね。

そうして生まれた前向きな想像を燃料にして、自分の潜在能力や、努力や、欲望の持つチカラを信じてください。

補習は長い目でみたらお得な時間です

事故を起こして誰かの心身を傷つけること。罰金で自分の財産がなくなってしまうこと。

そのような、自分にとって大きくマイナスとなる事態を、今の少しの辛抱で遠くにやっちゃえるなら、補習も安い投資であると言えますよ。

運転がうまくてスムーズに検定をパスできた人でも、「路上に出る前にもう少し練習したかった・・」と思うことがあるそうです。

「たまたま不合格だったからこそ、より運転技術に磨きをかけられてラッキー!将来の安心が増えたぞ!」と考えてみてくださいね。

せっかくですから、教官に質問もしてみましょう!検定でダメ出しされたこと、視点の置き方、「さっきのもう1回!」・・なんでもいいです。資本主義社会ですからね、結構丁寧に教えてくださいますよ。

最後にお伝えしたいこと

運転に不安を抱えているというその一点で、もう他人とは思えません・・。

どーしても、運転に興味がなくなった!と思う場合は辞めるのも選択のひとつですが、泣くほど悔しいと思ったら、諦めるなんてもったいない!と思います。

それだけ運転したい!ってことなんですから。

私の考えを一言でまとめると、「外野は無視!自分の周りの交通に優しく、安全な運転ができるようになっていけたらいい。」です。

夢を忘れず、安全運転で、せっかくですから楽しみましょうね。

 

☆長文なのに、読んでいただきありがとうございます。他にこんな記事も書いてます。

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